母親大好きな年齢なのにここまで言うなんてよっぽどだよ 主に同情してる人、同情心は…

最初こそ主人は助けてくれましたが、
次第に姑と共に私に辛く当たり始め、いつからか暴力まで。
ハエタタキや箒や長い竹の物差しなど、道具はさまざまでした。
アイロン台やアイロン本体で殴られた事も何度もあります。
逃げてしまえばよかったのにどうしても逃げる事が出来ず、
次第に逃げるという考えすら持てなくなりました。
そしてずるずると結婚生活という名前の奴隷となっておりました。
本当に奴隷だったと思います。
共働きで得た給料は全て取り上げられ、
服を買うにも主人や姑に三時間は土下座をしなければ、
下着の一枚すら購入を許されませんでした。
風邪を引いても休む事は許されず、毎日、朝食と弁当の用意に、
洗濯をし干して掃除機をかけてから仕事に行き帰宅してからは、
夕食を用意し風呂を沸かし…一
息すらつく間もなくあくせく働き、
姑より先に寝ることも許されなかったので、
姑が寝た後午前1時にやっと寝室へ入れました。
翌朝は四時起床です。
それでも娘が生まれてからは、姑も優しくなり主人も穏やかになり、
これでやっと幸せになれると思ったのですが、その幸せも束の間でした。
445 :名無しさん@HOME:2012/06/25(月) 09:07:44.65 0
娘が物心付く頃には、暴力が再開。
最愛の娘も姑に取られ再び奴隷生活がやってきました。
それでも娘にはとても優しかったので、
娘のためと思って耐えていたのですが、それも全て間違いでした。
強請られれば何でも買い与え、無条件に甘やかす姑と主人にのみ娘は懐き、
成長していくにつれ、とうとう娘も「あれ」「これ」「それ」と、
姑や主人そっくりに私を呼ぶようになったのです。
その時の絶望はこの先も忘れられないでしょう。
娘からも暴力を受けるようになるまで、
一ヶ月もありませんでした。
それでもいつか分かってくれると信じ、そこから二年耐えました。
娘は高校生になりました。
「高校入学おめでとう」と、
娘の部屋に語りかけたそのすぐ後、私の記憶はありません。
コメント
早く忘れて…って言っても無理だろうけど…孤立無援の長い期間大変でしたね…もう…次の恋でも探して胸の中のわだかまりを吐き出してね!これからの幸せを願ってますよ!
by 山﨑
報告者さんは誰に何を言われても済んだ事を思い出したりくやんだりする事なくこれからの事だけを考えて行動して欲しい!貴女は何も悪くない!酷だけど娘さんの事は忘れた方が良い!新しい人生を歩んで下さい。
by 日下部幸子
他の人も言っているが、娘さんに会わない事が娘さんの為。自立させるためにも心を鬼にして身を隠して下さい。
by みつままさよ
モラハラは連鎖する。もし旦那がいなくなっても、その代わりを娘や他の人間が代わりにDVする、それは無意識で。娘さんが謝らなかったのもDVしていると意識してきなかったから。とても恐ろしいことだと思います。我慢して合わせているとDVがエスカレートする。勇気を持って逃げて良かった。言葉でされたことを表現しないとわからない頭の悪い人間なのです。説明するのに大変だと思うし、すぐに理解できないだろうから疲れると思う。
by 雪だるま